SSBB便り
2021.07.20.
キャンピングカーショー in 静岡
CAMPINGCAR&OUTDOOR SHOW (キャンピングカー&アウトドアショー)2021が7/17~18の2日間、静岡市にあるツインメッセで開催されました。
今回はその模様をお伝えします。
このコロナ禍でのこの「人出」は凄いです。17日の土曜日だけで6千人以上の来場者があったそうです。今何故にこの人気なのでしょうか? 少し前までは、団塊の世代が定年後の夫婦二人旅の手段として、キャンピングカーの人気が高まってきたとの説がありますが、現在では、勿論高齢者二人の来場者も見かけますが、それ以上に、若い世代のファミリーやペット連れの夫婦が目立ちました。つまり、これがコロナ禍での人気が出ている理由のようです。
キャンピングカーには大別して
①バンをベースにして造られたもの・・・バンコン(バンコンバージョン)
②トラックをベースにして造られたもの・・・キャブコン
③バスをベースにして造られたもの・・・バスコン
④軽自動車をベースにして造られたもの・・・ケーキャンパー
⑤自家用車で引っ張っていくタイプ・・・キャンピングトレーラー
少し前までは、①~③が主流でしたが、ここ数年、手ごろな価格で買える④ケーキャンパー人気が凄いです。
では、一番需要のあるバンコンを見ていきます。元の車両はトヨタのハイエースやニッサンのキャラバンが多いです。
バンコンよりも居住空間が大きいキャブコンは元の車両のトラックの荷台部分に大きな部屋を載せたイメージで、運転よりも住まいとしての空間が凄く優れています。
いかがでしょうか。 キャブコンの「住み心地」を経験してみたくなります。
また、大別の5分野に入らないタイプ(乗用車がベース)もありました。
これは、キャンピングカーを運転している感覚ではなく、普通の乗用車を運転している感覚で、乗り心地や加速感も良さそうな感じです。
バスコンや高級外車、トレーラーの出品は少なかったので割愛しますが、今人気のケーキャンパーを見てみましょう。これはかなりの出品数でした。
木製手作り感でいっぱい。珍しい、長泉町のメーカーです。
窓ガラスに「成約済み」の紙が何枚も貼られています。凄い人気です。
これは、軽自動車ベースなのに、かなりワイドなシェルを積んでいて、大人2名、子供2名が寝れるスペースがあります。軽のキャブコンのようなもので、ケーコンの先駆けのビルダーの車です。
車だけでなく、その他関連商品もかなり多く出品されていました。先ず、これはポータブルーバッテリーで、キャンピングカーに係わらず、家の停電時にも重宝だという触れ込みで、人気が出ています。
こんなものも。。。ペット用のバギーカートです。
今回、やたら目立ったペット(主にワンちゃん)の愛らしさに癒されました。飼い主や、ペットについつい声を掛けてしまう小生でした。
スタンダードプードル
これは犬ではなく、ミーアキャット。初めて実物と触れ合いました。
まだまだ紹介したいもの(こと)が沢山ありますが、紙面?の都合上、この辺にしておきます。
いずれにしても、このコロナ禍の状況下で、この分野に目が行くのは自然なことなのかもしれません。実物を見る機会はなかなかありませんが、キャンピングカーを扱った月刊誌、隔月発行誌、その他随時発行されている専門雑誌が結構あるので、それを見るのも楽しいと思います。参考に有名な2誌を紹介しておきます。
by【S.H】

毎月発行のオートキャンパー

隔月発行のキャンプカーマガジン
2021.06.30.
道の駅【掛川】
久しぶりに、静岡県内の道の駅を紹介します。この道の駅は、国道1号の日坂バイアスにあり、地場産品やお土産の買い物も出来て(営業時間;AM9時~PM5時)、コンビニのセブンイレブンは24時間営業しているので、とても重宝します。具体的な場所は下の地図の右半分の中央辺りです。


下り車線を走ってきてこの道の駅に入る場合と、上り車線を走ってきて入った場合では、駐車場は建物を挟んで反対側になりますが、建物(別棟のトイレ)は共通です。しかし休憩して車に戻る時、上り車線用と下り車線用の駐車スペースを勘違いしないようにしてくださいね。
道の駅の施設の内容は、ホームページに委ねるとして、
ホームページ⇒⇒⇒https://www.city.kakegawa.shizuoka.jp/gyosei/docs/10033.html
今回は、その敷地内?の国道の斜面に植えられているユリの花を紹介します。
いかがでしょうか。きれいなものには説明が要りません。毎年、この時期になると、こうして道の駅を訪れた人々を癒してくれます。ここからそう遠くない袋井市にある可睡斎の「可睡ゆりの園」は圧巻で、素晴らしいですが、こちらは有料です。但し、今年の開園期間は7/4までなので、要注意です。
「可睡ゆりの園」のホームページ⇒⇒⇒http://yurien.jp/
では、道の駅のユリの最後の1枚をご覧いただいておしまいとします。
(上記の写真は6/29撮影)
by【S.H】
2021.05.16.
道の駅【高田松原】
先日のG.Wに岩手県の道の駅【高田松原】(たかたまつばら)へ行ってきました。この周囲は、かつては約7万本の松が2キロメートルの砂浜に茂っていた松原としてとても有名な所でしたが、2001年の東日本大震災による津波で奇跡の一本松を残して全て流出したのです。その後、4万本を目指して植樹による再生が進められています。そんなことを肌で感じてきました。
この看板を見て分かるように、高田松原復興祈念公園内に「道の駅」と「津波伝承館」があることが分ります。
G.Wということもあり、県外ナンバーの車も多く、加えてバイクツーリングの人達も多数来ていました。
この施設の配置図をパンフレットのコピーで紹介します。左側の『道の駅」と右側の「津波伝承館」が一体の建物になっています。

空中撮影した写真(道の駅のH.Pからの転載)は、パンフレットより分かり易いです。(上のパンフレットとは上下の向きが逆になっているので要注意)

では、それぞれの施設に入ってみましょう。先ず「道の駅」です。
この中の売店では、特産品のノリとワカメの販売コーナーが充実していました。
そして、「津波伝承館」ですが、基本的には館内撮影禁止に付き、パンフレットから写真を転載いたします。

被災した現物の消防車です。津波の破壊力の凄さをまざまざと見せつけられます。

この展示室の前面の大画面には、関係者のインタビューや被災状況が次から次と映しだされ、後方のスピーカーからは当時の緊迫した現場のやり取りの音声が流れ、多数の来場者はじっと足止め状態でした。
屋外に出て、海が見える高台『海を臨む場』へ向かいます。そこまでは結構な距離を歩きます。推定200m以上あったようですが・・・定かではありません。遠方に見える土手が防潮堤で、その突き当り上方に『海を臨む場』があります。
ここが、『海を臨む場』です。一気に前方が開けて高田湾が見えるのは凄いです。
前方や周りを見渡すと、失われた松原再生の為の松の苗木がずーっと植えられているのがよく分かります。
この春(3月)、三陸自動車道が全面開通したこともあり、ここを訪れた訳ですが、前回(被災時の翌年)の時に比べ、確かに復興はしてきましたが、高盛り土した旧市街地は更地のままの状況が多く、以前の賑わいが戻るのは相当な月日がかかるような気がしました。機会を見つけてこの地を訪れることが、ささやかな復興の一助になればと思っています。みなさまも機会を見つけて是非足を伸ばしてください。
参考;道の駅高田松原のH.P⇒⇒⇒ https://takata-matsubara.com/
by【S.H】
2021.03.22.
ディアナ号とプチャーチン
ディアナ号とプチャーチンをご存じの方はとても「富士通」です。但し、「富士通」とは言っても、あの有名な電機機器メーカーの「富士通」ではなく、「富士市のツー」な人のことです。
今回取り上げたディアナ号とプチャーチンは、アメリカの黒船軍団率いるペリーが1853年に下田に来航した(日米和親条約を結んだのは翌年)次の年1854年に同じく下田に来航したロシアの船・ディアナ号とその親分プチャーチン提督です。
そんなことが分る資料館『歴史学習施設 ディアナ号』が富士市の田子の浦みなと公園内にあります。では、早速紹介しましょう。
実は、このブログで、'14.6(もう7年前)にこの公園を紹介しましたが、その当時はこの船の形をした施設も左奥に見える展望施設(丘はありました)もありませんでした。では、ディアナ号に入ります。
施設の入口はこの船の左舷側にあります。
ここが施設の入口で、開館時はいつもドアは開いているようです。
施設内はそんなに大きくはありませんが、知識を得るには十分な内容で、興味深く楽しく見ることが出来ます。入ると正面にこんな展示パネルが目を引きます。
プチャーチンはこのパネルでも分かるように、提督らしい、なかなか立派な風貌をしたように見えます。
ディアナ号はアメリカの黒船軍団とは違い、ロシア皇帝の命を受けて、単独で来航した船ですが、その概要は・・・
全長53m、幅14m、排水量2,000トンの3本マストの木造帆船です。そして、 52門の大砲を搭載した軍艦だったのです。
しかし、条約交渉に入った翌日の1854年11/4、安政の地震の津波でディアナ号は破損してしまい、ここから凄いドラマが始まるのです。
11/26 船の修理のために、戸田(へだ;現在の沼津市戸田)に向けて出港。
⇓
11/27 強風・大波のために、目指す戸田の港へ入れず海上をさまよい、富士の宮島村沖(田子の浦付近)に錨を下ろすが、沈没寸前となる。
⇓
11/28~29 自分達も地震で大きな被害を受けたにも関わらず、地元民は500人もの乗組員の救助活動を行ったのです。
その模様を描いた図がこれです。
プチャーチンを始めとして、いろいろな人がその時の模様を書き記していて、それを読むと心を熱くさせられます。
伊東錬次郎が伝法村役場に頼まれて書いた手記
プチャーチンが書いた報告書
ディアナ号航海誌 ワシーリィ・マホフ著
『ディアナ号の沈没』「地震の記」より 山崎継述著
上のパネルの写真の文字が小さので読みにくいかもしれませんが、ディアナ号が沈没した時の具体的な状況が記してあります。そして、沈没してしまった船から脱出した船員を地元民が温かくもてなしてくれた「人間愛に基づく行為」に対して、最大限の感謝の気持ちが書いてあります。
沈没した駿河湾のおおよその場所が分かる図がありました。
ディアナ号沈没後の12/24、戸田で日本の船大工とディアナ号の船員とで新船を造り始め、それを「ヘダ号」と命名し、1955年3/10進水式が行われました。そして、3/22プチャーチンはその船でロシアに向けて出港したのです。
なお、「ヘダ号」を造る前の12/21、プチャーチンは下田の長楽寺で日露和親条約を結んでいるなど、キッチリと仕事をこなしていました。
この施設内の大型テレビでアニメ仕立てのこのリアルドラマが見れます。
戦後になった1654(昭和29)にディアナ号の1基目の錨、1976年(昭和51)に2基目の鎖を引き揚げて、それぞれを戸田の造船郷土資料博物館と富士市の三四軒屋緑道公園(下左の写真)とに置かれています。しかし、船体はとうとう発見されず仕舞いです。また、1994年(平成6)にはロシアよりプチャーチンと日本の漁夫の「友好の像」(下右の写真)が寄贈されて、富士市の広見公園に設置されています。


さあ、いかがでしたでしょうか? ディアナ号とプチャーチンが富士市とこんなにも縁があったのかが分かってもらえたことと思います。機会があったら是非『田子の浦みなと公園」においでください。景色も素晴しい公園です。
by【S.H】
2021.02.21.
大石寺三門リニューアル【完】
静岡県富士宮市にある『大石寺三門』が5年以上の期間を掛けて実施してきたリニューアル工事がやっと完成しました。
とってもきれいです。
'16.10に「大石寺(たいせきじ)」
'20.3には「大石寺リニューアル」
というタイトルでリニューアルの様子をこのブログで取り上げましたが、今回はその総集編で【完】としました。
三門の手前左横には、「大石寺縁起」と題したその謂れ(いわれ)が書かれた説明板も新調されていました。
書いてある内容を要約すると、「この大石寺は、1290年に日蓮宗の創始者である日蓮大聖人(だいしょうにん)の後継者・日興上人(しょうにん)によって創られたもので・・・730余年、当山は宗祖日蓮大聖人の仏法を伝え今日に至っている」とのことです。
前々回(5年前の10月)にUPした画像です。
三門全体をすっぽり覆った巨大な仮設の建物。まるでJAの巨大な穀物倉庫のよう
正面には「慶祝 日蓮大聖人御誕生800年 三門大改修工事」の看板
そしてこれは、前回(去年3月)にUPした画像です。
仮設の建物が取り払われて、その優雅な全体が現れました
「早くこの仮囲いもなくなるといいな」という状況です
このように時間をかけた改修工事の記録を紹介するために、大石寺境内にある「宝物殿」で「大石寺三門展」が開催されていて、その具体的な詳しい内容が見れます。入場無料ですが、写真撮影は出来ないので、会場外観とパンフレットをUPします。
駐車場から宝物殿玄関までは結構歩きます。広いです。
正面玄関。入場は右側です。
中を見て一番驚いたのは、この改修工事で三門は全て分解されて、基礎石も掘り出され、ダメな部分は交換したり、治したりした後に組み立てられ、塗装したということです。そんなに凄い工事とは思ってもいなかったです。


境内全体の案内看板です。三門から宝物殿までは1.2Km位あるので、歩いてもいいですが、車での移動がお勧めです。

いかがでしたでしょうか? 「大石寺三門展」の会期は「暫くの間やっている」とのことなので、もう少し暖かくなって桜(境内のソメイヨシノ、枝垂れ桜は一見の価値あり)が見れる頃が一番いいと思います。機会を見つけ是非おいで下さい。
by【S.H】